定山渓鉄道資料集

【定山渓鉄道沿線百話 その五四 「豊平停車場」】

 

 豊平停車場の開駅は大正七年一〇月一七日で、まさしく定山渓鉄道が開業したその日になります。起点は省線白石駅ですが、ここには蒸気機関車のための転車台が置かれ、駐留するための側線や修繕庫が広大な敷地に備わった機関区および車両基地であり、開業時からは本社事務所も置かれてまぎれもなく定山渓鉄道の中枢でした。しかし開業当初の駅舎の位置はよく知られた国道三六号線沿いではなく、一丁西側の現・東光ストアー店舗位置付近にありました。跡地を示すものとして銘板が店舗外壁に埋め込まれています。そこはちょうど南七条大橋方面から続く市道のつきあたりT字路の正面となり、いわゆる駅前通りとなっていました。もちろんこの当時は南七条大橋は存在していませんでしたから、もともとこれは豊平小学校の角を接する平岸街道(当時、定山渓道)より、開業と前後して開かれた道であると思われます。このころにはすでにたくさんの商店街が立ち並び、大いに賑わっていたという室蘭街道(現国道三六号線)も平岸街道交差点付近までで、線路踏切付近より月寒の市街地までは畑がほとんどで民家が途絶えていたことから、この位置での停車場設置となったものと想像できます。

 

 さて、この豊平停車場は工事開始より、定山渓鉄道建設のベース基地ともなる重要な拠点でした。あまり意識にないことと思いますが、開業当初置かれた停車場はほかに石切山、藤ノ沢、簾舞、定山渓と、いわゆる「札幌」ではなく豊平町内に続きます。しかしこの豊平停車場は唯一豊平町ではなく札幌区に属し(明治四一年に豊平町より大字豊平町一部を札幌区へ編入されている)、文字通り定山渓温泉への札幌の玄関口ともなっていました。定山渓鉄道の開通はもちろん札幌の発展に大きく寄与したわけですが、実際には昭和三六年の豊平町と札幌市の合併が成立するまでの大半の年月は、そのほとんどの線区が「豊平町を走る」鉄道だったのです。このこともポイントとなって会社設立以後、建設開始まで長い時間を経なければならなかったドラマが隠されているのですが、それは後日別な機会に取り上げたいと思います。

 室蘭街道、平岸街道沿に商圏が広がり、その要として発展を遂げてゆく豊平停車場には、二度の大きな転機がありました。最初に訪れたのは昭和四年の全線電化。この時、荘厳なタイドアーチの豊平橋を渡って平岸街道まで延長されていた札幌市電がさらに定山渓鉄道線の踏切前まで単線開通、市電豊平駅前が誕生します。鉄道開業時にはまばらだった街道沿いの商店もこの時には軒を連ねるほどに発展し、人の往来も増えてきたため駅舎の街道沿いへの新築移転が行われたのです。

 

「札幌市電の終點へ 豊平驛を移轉  遅くも来月中旬まで 出来上る豫定

定山渓線電車運轉と同時に定鐵豊平驛は月寒街道沿ひ(国道)札幌市電の豊平終點前に移轉し札樽からの旅客は市内電車から降りると直ぐ定鐵の電車に乗れるやうになって居る 定鐵では目下この新驛本屋の建築中で遅くも来月中頃までにはもっとも近代的な札幌の大玄関としての豊平驛にふさはしい瀟洒な停車場が出来る筈になって居る。」(北海タイムス昭和四年一〇月二五日)

 

 その後は、昭和ヒトケタのレジャーブームに乗って、この駅から利用する行楽客が増大。これより先に沼ノ端~苗穂間の北海道鉄道が開業し、白石始発の定山渓鉄道とは平面交差となる東札幌に停車場が新たに設けられて接続してはいましたが、豊平駅前広場には飲食店、菓子店、旅館などが建ち並び、シーズンには市電から続々と降りてくる行楽客であふれ、定山渓温泉へ向かう客はこの駅からの利用が圧倒的に多かったようです。

 ふたつ目の転機は隣接する国道拡幅と電車利用者の減少でした。戦後、次第に札幌市内の道路改良が行われモータリゼーションが進んでいく中、駅舎に接する国道も自動車の交通量が日増しに増えてゆきます。と同時に、電車通過時の踏切が降りた時には大渋滞を招くシーンも珍しくなくなっていきました。このような状況が恒常化していったことが、昭和四一年に北海道警察本部から出された「定鉄軌道と交差する九か所の踏切を立体化するように」という異例ともいえる「勧告」を受けてしまったことへと繋がった可能性も考えられます。

 この「事件」は、警察側当事者の釈明があって一応の解決を見ているので、実際に「勧告」によって廃止が決まったわけではありませんが、その他のさまざまな原因から定山渓鉄道は、昭和四四年一〇月三一日の最終列車をもって営業が廃止されたのは歴史の通りです。電化直後の豊平駅の大賑わいのように、この日再び、豊平駅と駅前広場はさよなら電車を見送る人たちであふれていたものと思います。

 

 鉄道営業廃止後は昭和二八年にやはり新築移転された本社社屋とともに取り壊しを免れて、駅舎は不動産部の事務所として使われ続けました。一時、廃止直後にカフェに転用という話もあったようですが、その後実現したのかどうかは定かではありません。

 その駅舎、本社屋とも惜しまれつつも残念ながら平成一七年九月に解体され、跡地には自社が分譲販売した大型マンション二棟にその姿を変えています。

 

〈豊平停車場〉

大正七年一〇月一七日開駅。

東札幌起点より一km。

ホーム長九〇m(一番線)、六〇m(側線)対抗式ホームとなっているがこれは昭和二〇年代以降、場合によって上下線として旅客使用していた臨時のものと思われる。

図面は昭和四〇年一月二五日に作成された時点のもの。

 

※カットは、上より豊平停車場平面図。下左は、大正時代の札幌区字豊平地区の略図で、開業当初の駅が描かれている。下中はその当時の駅舎(札幌公文書館所蔵)。そして、解体直前の豊平駅舎と本社社屋、右下が現在の同地の姿。

 

※内容はあくまでも現時点までの研究成果による執筆者の主観です。新情報などで不定期に内容を更新する場合があります。予めご了承ください。

 

 

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