定山渓鉄道資料集

【定山渓鉄道沿線百話 その八一

         「北海道初の〇〇」 その三】

 

 定山渓鉄道が「北海道初の〇〇」?シリーズの最後は、「北海道初の特急列車」です。

 

 定山渓鉄道は昭和四年に全線電化、四両の新造電車による運転が開始されましたが、この当時はまだ駅数も少なく(東札幌、豊平、石切山、真駒内、藤ノ沢、簾舞、滝ノ沢、一ノ沢、錦橋、定山渓の一〇駅)、急行列車はまだ存在していなかったようです。「急行」の定義としては「各駅停車ではなく一部の駅を通過させて終着駅までの所要時間を短縮運転する」とされていますが、当時、国鉄ではすでに都市間の長距離列車に実現していても、駅数が少ない定山渓鉄道にはその必要はなかった、というところだと思われます。手元の資料では少なくとも昭和二三年以降に、定山渓鉄道としては最初の「急行列車」が一往復登場していますが、このころには北茨木(のち澄川)、下藤野、豊滝、小金湯、白糸の滝と途中駅が続々と開業しており、各駅停車の所要時間が延びつつあった事情が感じられます。

 

 ちなみにこの時の急行列車は、定山渓行下り列車が苗穂を夕方に、折返しの上り豊平行が定山渓を朝に経つ一往復で、東札幌と豊平、白糸の滝以外の駅はすべて通過する設定でした。各駅停車が苗穂~定山渓間を一時間二〇分かけて走るところを、この急行列車は五八分で走っていました。

 その後、高出力の新造電車導入に伴って、昭和二七年九月の時刻表によれば、「むいね(土日運転)」「もみじ」、「しらかば(なぜかこの年の表記は準急)」の三本、二九年にはさらに「みどり」のほか、下藤野、東簾舞、豊滝、一ノ沢を通過する準急列車も登場しています。この「準急」と「急行」との差は停車駅数と所用時間の優劣からと思われます。

 

 さて、本題の「特急」列車ですが、昭和三一年十一月改正の時刻表では以前のノンストップ急行「もみじ」と「みどり」が「特急」として登場しました。所要時間も先の「急行」から大幅に短縮され豊平から定山渓へ三六分、反対に定山渓から豊平へは三二分となります。

 一方、北海道内の国鉄線区においては昭和三四年ごろより、新造気動車による急行列車が続々と登場します。そして、初めて「特急」列車が登場するのは昭和三六年一〇月のこと。函館~旭川間の「おおぞら」でした。

 北海道の都市間を結ぶ国鉄と、札幌市街より定山渓温泉を結ぶ定山渓鉄道とはスケールが違いすぎるので、単純に比べることには無理があると思いますが、少なくとも「特急」という名称で列車を走らせた、という点では定山渓鉄道が先だったと言えます。

 

 しかし定山渓鉄道の「特急」列車はその後長くは続きませんでした。昭和三五年をピークに旅客数は減少に転じ、一方でその後の国道整備が進んでバスの本数が増えてくる中、「特急」列車は昭和三六年九月改正の二往復設定されたのが最後となります。昭和三八年九月改正ではこれらも格下げされて「急行」が合わせて三本、翌年にはこれも一往復の二本となり、昭和四一年にはとうとう、「急行」のみならず「準急」も時刻表から姿を消すのです。

 

※写真は上が昭和二三年ころの発行と思われる、急行列車が設定された時の時刻表ポスター。下が昭和三一年一一月改正の時刻表。「特急」の文字が誇らしげに見える。

 

※内容はあくまでも現時点までの研究成果による執筆者の主観です。新情報などで不定期に内容を更新する場合があります。予めご了承ください。

 

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