広漠の親子沼──兜沼・子泣沼
堀 淳一
現在サロベツ川は沼のはるか東方を南々西方向に流れているが、これは人工的にそう強制されたためである。もともとは川は沼の南方一キロほどのところを西流し、子泣沼のすぐ南で南々東に急転回して、ひどく蛇行しながら、およそ今の兜沼川と同じ経路で流れていっていたのだ。また、子泣沼の南で直接急転回せずに、その西側をかすめていったん兜沼に入ったあと、すぐに兜沼から出るという、複雑な流れ方をしていた時期もあった。 サロベツ川の西進部分がつくった自然堤防(現在の地形図上に標高七.五〜一二メートルの微高地として表現されている)によって堰き止められてできたのが兜沼なのだろう。一時期サロベツ川がいったん兜沼に流入していたのも、自分自身がつくった自然堤防に邪魔されて南々東に急展開しにくくなったせいなのだろうか? 子泣沼がこういうサロベツ川の流露変遷に巻き込まれず、終始孤立を守っていたのはちょっと不思議だが、それは、ここがまわりより僅かに高かったおかげらしい。 とすると、子泣沼は実は泣いているのではなくて「オレは自立してるんだぞ!」と大声でわめいているのかもしれないな。
参加者 富田、堀(いずれもコンターサークルs)