〜堀 淳一紀行集〜 Vol,6

犬の目指すうるわしの沼・ペンケセタ

堀 淳一 


 厚真の市街から、厚真川の谷をえんえんと遡っていった。ここは真尾さんのクルマ。
 厚真ダムから先では、道がぐんと狭くなる。しかも、ダム湖の湖岸に忠実に沿って紆余曲折してゆく、未舗装のガタガタ道。真尾さんも後続のクルマの運転士、家田さんと久保さんも、大変だろう。が、三人とも運転暦を誇るベテラン、乗せてもらっている一同はまったく不安なしに、木の間越しにチラホラと見える湖のきらめきをたのしみながら、まだ見ぬ沼の姿に想いをはせている。
 ダム湖を見送ってもなお、厚真川の曲折絶え間ない谷をうねってゆき、四キロほどでようやく支流ペンケセタ川の谷を登る、林道の分岐点についた。
国土地理院発行 二万五千分一地形図『上幌内』(平成六年修正測量)より抜粋。縮小しています。
 クルマを置いて、林道を歩いてゆく。
 思わず深呼吸せずにはいられない、五月末の爽快な大気が身を包む。空は一点の雲もなく、セルリアンブルーが頭上いっぱいに広がっている。新緑の息吹きもたけなわ。裸木がまだ折おり混じっているとはいえあたりはみずみずしい緑の世界だ。若緑、浅緑、アップルグリーン、シャルトルーズグリーン、若苗色──
 路はペンケセタ川の南岸を続いている。間もなく右手に一の沢、すなわち一番目の支谷が現れた。
 「Aの沢──」
と家田さんがつぶやく。
 「え、Aの沢?」
と思わず聞き返すと、
 「いやいや、私が勝手にそう呼んでいるだけですよ」
 ナニ、「一の沢」だってこっちが勝手にそう呼んでいるだけさ。
断層を西望。2台の車は我々の乗ってきたものではない。
 ついで二の沢。そして次の三の沢に路が入っていこうとした寸前、それは八〇センチほどの段差で、ガクンと落ち込んでいた。
 「おっ、断層だ!」
と久保さんが叫んだ。思わず私も
 「うん、断層ですねえ」
と反応する。
 だが、本当に断層なのだろうか?
 落ち込みは南西側から北東側に向かって。段差の走向はこれと直角方向。そして、これの延長線上の山腹も、どうやら段差と同じ向きに落ち込んでいるように見えた。また、夕張山地のこの一帯には、南北方向から南東・北西方向に走る活断層が多いこともたしかだ。
 ただ、不審なのは、路面がいったん落ち込んだあと、またすぐ同じぐらい持ち上がり、その先では何事もなかったようにもと通りの緑の草路に戻ることだった。ならばこの落ち込みは断層とはいえないのでは?
 このナゾは、まだ解けていない。
 三の沢に入って二〇〇メートルほどで、路は対岸に渡り、一八〇度転回してペンケセタ川本流に戻って、それの遡行を続ける。そして一五〇メートルほど行くと今度は本流をわたってまた一八〇度転回、ヘアピンを重ねての対岸尾根の登りにかかる。
 二つの渡河地点とも橋はとうになく、徒渉を余儀なくされた。しかし幸い川は細く浅く、飛んで渡ることができた。もっとも私は着地に自信がなく、先に渡った人に手をひっぱってもらったのだが。
 この頃、空はいよいよ冴え渡り、日差しもますます輝いてきて、草も木もアップルグリーンまたアップルグリーン、とあざやかさを増した。ヘアピンカーブにかかってからは勾配が急になったけれども、心地よさに溢れた天地の彩と大気の美味しさのおかげで、みんなの足は軽い。
  ヘアピンを登りつめたところは尾根の西側の高い山腹。路面の草の背が高くなり、ササがはびこりはじめ、路幅も狭くなって、荒路の様相を呈してきたが、ヤブというほどではなく、なおもラクラクと登ってゆくと、間もなく尾根の上に出た。
 路はそこから尾根の東側に移って、急斜面中腹をトラバースしてゆく。従って勾配は急にゆるくなるが、代わりに右側(谷側)斜面の崩落がいちじるしくなり出し、路もそれに削られて、どんどん幅が狭くなっていった。最も崩落のはげしいところでは谷側約八割が消失して、人一人がようやく通れるだけの危うい隘路となる。左側には急山腹が壁のように立ち、右側からは山崩れの跡もナマナマしい土砂岩屑の断崖がなだれ落ちている。蜀の桟道を彷彿させる、と言えば誇張に過ぎようが、そんなおもむきの戦慄の道だ。
 今の今さらなる崩壊が起こったら、一瞬にして土砂岩屑と一緒に一〇〇メートル下の谷底へ──まず命はない。いや、崩壊が起こらなくてもこちらがちょっとふらついたら最後滑り止めの草木が一切生えていない岩屑の断崖を一気にザザダダッと転落、やはり命が── などと考えながらおそるおそる歩いてゆくと──
ヘアピン坂を登る
 路を横切って倒れていた木につまづいて、ドーンと前倒しに転んでしまった。断崖に気をとられて足もとへの注意がおろそかになっていたのだ。
 倒木に足がのっかって頭のほうが下がってしまったため、なかなか起き上がれない。もがきにもがいていたら、追いついてきた久保さんがうしろから抱き起こしてくれた。助かった!ありがとう!
 「この路、消滅は時間の問題ですねえ」
 「そうですねえ、来年まで保つかどうか──」
 「ええ、今年来てよかったですねえ」
と話しながら、そろそろと歩いて、崩壊箇所をやっと通過。 その先では路はかえってよくなった。草も少なくなり、幅も広くなり──
 二股に分かれるところで、右へ行く。
 右に三〇〇メートルぐらい行けば沼が見えるはず、と思ったが、一向に見えてこない。あれえ? と思っていたら、先頭を歩いていた家田さんが、やにわに左側の急斜面を覆うヤブを、ガサガサと分けて登っていった。
 あ、そうか、地図では沼は路から直接見下ろされるはず、と読めるのだが、実際は沼は土塁状の高まりにぐるりを囲まれていて、それに登らなければ見えないのだ!
 果たして、土塁のてっぺんに登りつめた瞬間、見えた!
 いい沼だ! 特級のB級湖沼だ!
土塁の上から沼を見下ろす。
 空の露草色をそのままに映してかすかにさざなみ立つ水面が、真先に眼に飛び込んでくる。続いてそのまわりの、岸を映す水──対岸斜面の日に輝く緑、若草色、シャルトルーズグリーンのまぶしくつややかな混淆を、ほのやかに映す水が──
 ひとしきりそれらに眼を奪われてから、ヤブを分けて岸に降りると、沼はガラリと姿を変えた。
 対岸では、空に代わって、黒緑の森と、それを背景に日にきらめく岸の木々の若苗色、シャルトルーズグリーン、アップルグリーンの葉や、灰白色に輝いてスイスイと競い立つ細い幹の群れとが、視界を占めた。そして湖面は、黒い森と光る木々をややくすませながらもそっくりそのまま逆さに映す水──足もとの岸近くの水にわずかに残る露草色や、岸に乱れ茂るササの葉のメドウグリーンや、土塊にへばりついてむらがり固まる枯葉、枯茎のアンティックローズや苔のメロンイエローなどの彩りに引き立てられて、幽邃のおもむきを呈する水に変わったのだ。
 時折り吹くとも吹かないともいえないような風の囁きが訪れると、水面はこまかくさざなみ立って木々の倒影をぼかし、融け合わせ、向う岸近くでは明るい露草色のこまかくちぎれて揺れる細縞に覆われて、沼をサァーっと明るくする。しかし風が去るとまたふたたび暗転して、幽邃が立ち戻ってくる。そんな微妙な変化も、いつまでも見飽きない──
岸にて。幽邃の沼。
 小一時間後、土塁を逆に越えてさっき来た路にもどり、さっき来た方向に歩いていった。登り坂なので間もなく沼を見下ろす高さになるが、森に妨げられて、はじめの間だけ木の間越しにチラチラと見えたにすぎなかった。
 前記の分かれ路に出てからは、来た路を逆にたどってゆく帰り路。既知の路、しかも下りのため足取りは早く、三〇分後ぐらいにはペンケセタ支流の渡渉地点にやってくる。川を渡って小休止。沼のネーミング談義。
 しかし、名案が出てこず、結局「ペンケセタ沼」ということになった。ペンケセタ川の源流部にあるから、というしごくまっとうなネーミング。まっとうだがあまり面白みはない。果たして
「それじゃ変哲がなさすぎるんじゃないですか?」
というクレームが久保さんからついた。
 「ええ、そうなんですけど、ほかに名案がないので──」
と言っているちょうどその時、誰かが
 「あ、犬!」
と叫んだ。
 「えっ?」
と振り向くと、いつの間にか下流方向から三匹の真っ黒な犬がやってきていた。
 「ん、野犬?」
と身構えたが、彼らは吠えもしない。どころか我々に尻尾を振っている!
 ご挨拶を終えるが早いか、犬たちは平然として川を渡り、今来た路を仲良く連れ立って登っていった。思わずじっと見送る。
 「いやあ、ペンケセタって、ピッタリの名前でしたねえ」
と久保さん。そう、セタというのはアイヌ語で犬のことなのである。
 あの三匹も沼へ行くのだろう。彼等は「おらが沼」に行ってきたと覚しき我々を、尻尾で嘉していたのかもしれない。

参加者  真尾、杉山、家田、石川、久保、坂井、大町、田島、石川氏友人、堀(順不同)

2005/4/22掲載
文 写真   堀 淳一 <コンターサークルs主宰