旧道エッセイ・プラス Vol,1

日本鉱業佐賀関鉄道跡歩きの一齣

堀 淳一 


 辛幸(からこう)の北のゆるい岬から辛幸の集落までは、道は国道を上に載せるコンクリートの高い壁の足元沿いの、サクラの並木とスイセンの花壇ベルトを揃えた広い道路──というよりも海岸公園、になっていた。南端には四阿(あずまや)さえ立っている。だがこの日はやや寒かったせいか(そう、まだ三月の末だったのだ)、人も犬も一羽の鳥すらおらず、むなしくだだっ広いだけだった。
 四阿から先、線路跡は国道のすぐ横にへばりついて続く、短い草の生えた砂利のベルトに変わった。と思ったらすぐに国道から離れ、同時に草ヤブとなってしまった。
 といってもオレにとってはさしたるヤブじゃない──それに地図にも小志生木(こじゅうき)までの線路が、これまでと同じく海岸伝いに破線で描かれているんだから、行けるはずだ、ときめこんで、構わず踏みこんだ。

 が── 案に相違して、ヤブは急速に手強くなりだした(ありゃありゃ)。草ばかりか木まではびこりだし、足元も凹凸(おうとつ)定まらず、すこぶる不安定なものになってきた(やれやれ)。
 しかしそれでもめげず、足元に注意しいしい、背丈ほどの草や所構わず突き出してくる木の枝を、手で払ったり体全体で押しわけたりして進んでゆく。ところどころヤブが消えて草のベルトやむきだしのコンクリート面になって歩きやすくなるたびに、ホッと一息ついて相変わらず魅力的な海の眺めを楽しみながら。

A地点より東北東望.ここからヤブが始まる.

 小志生木北方の岬に近づく頃、ヤブはひときわひどくなって、ひとしきりまた難行苦行が続いた。そしてその果てに、ガッチリふさがれたトンネルにぶつかってしまった。
 地図にはトンネルは描かれておらず、予想外のハプニング! さて困った、どうしよう?
浜伝いに行けばトンネルの向こう側に出られそうだが、何分護岸(ヤブになってからはふたたび護岸のきわだった)は高くて、四メートルぐらいありそうだ
──飛び降りるのは危なすぎる──
 と思ったのだが、よく足元を見たら、うまい具合にちょうどそこでは、大きな岩塊が二つ折り重なって、護岸にのしかかっているのだった。シメた、とばかり、それらを足がかりにして、浜に降りる。
ヤブの廃線跡.ここは高い護岸の際.右手4m直下は波のくだける岩浜.

 浜の光景は、抜群だった。
 累々と転がる結晶片岩らしい岩
──あるいは黄土色と白、あるいはグレイと白、あるいはアイビーグレイと白の、ぎっしりと目のこまかい細縞の美しい岩々。おそろしげに暗いミッドナイトブルーの巨岩の、おどろおどろしくゴツゴツとした形。それらに当たってくだける波しぶきの、まぶしい白。岩と岩の間でUターンして泡立つ水がぶつかりあって急回転する渦模様。
 それらに見とれながら岩伝いにとろとろと進んでいって、ふと前方を見たら、うわっ、こりゃヤバい!
 何と、岬の先端はうず高く積み重なる岩塊の山。しかも激浪がそれにぶち当たって、七、八メートルにも達するしぶきを乱舞させているのだった。
 浜伝いに行けるだろう、という安易な考えは、もろくも瓦解。思案投首。

国道の下にあった、トンネル南口.

 すぐ上を走っている国道に出るしかないな、こりゃ──でもそれには一〇メートルはありそうな断崖をよじ登らなきゃならない。というのにあいにく、木がまったくない急崖、背が高くて頑丈そうな草もない──つまり、つかまるものが全然ない──

 だが、これを登るしかない。よしっ、登ろう! うん、這ってでも登ってやるゾ!
 と登りはじめたとたん、どんでん返しの拍子抜け。なあんだ、縄が目の前にぶら下がっているではないか。掴まって登るための縄が!
 それにすがって、無事、国道に出た。そうか、水遊びや釣りのために浜に降りる連中が、けっこういるんだな
──

 やっと一息、落ち着いて旧版地形図を取出して見たら、なんだ、何のことはない。トンネルがちゃんと描かれているではないか!今の地形図がおかしいのだった。
 国道を小志生木集落北端まで歩き、浜に出てみたら、すぐ北にトンネルの出口があった。


 日本鉱業佐賀関鉄道の開業は昭和二一年(一九四六年)。貨物専用線だが、同二三年からは旅客営業も開始。しかし三五年に貨物輸送を、三八年には全面廃止となった。軌間は七六二ミリ。
 今もほとんど全線を歩くことができる。上記は二〇〇四年秋、講談社+α新書に発表予定のその記事の一部。
文 写真   堀 淳一 <コンターサークルs主宰>