旧道エッセイ・プラス Vol,4

危険な旧道「御成街道」

根布谷 禎一 


 江戸幕府265年という長期政権の礎を築いた徳川家康。この天下人・家康の「鷹狩」のため、つまり御成りのために、千葉県船橋から東金まで37キロメートルにわたりほぼ直線に造られた道が「御成街道」である。白旗や提灯を掲げて工事を行ったとか、一夜にして造り上げたなどという伝承から「一夜街道」「提灯街道」などとも呼ばれている。

 それから380年を経た現在、現存しているところ、バイパスとして拡幅されたところ、さらには消滅してしまったところと様々な様相を呈している。そこで、8月のある日曜日、鷹狩りをした徳川公になったつもりで、現存している御成街道の一部を歩いて見ることにした。

 千葉駅からモノレールに乗って20分、終点「千城台駅」に到着した。ここから北東に500メートルほど歩くと御成街道にたどり着く。道幅はきわめて狭いにもかかわらず、自動車が猛スピードで走っている。「この先もっと道幅が狭くなるから、その辺りになると車も少なくなるだろう。」と予想していたワタシの考えは甘かった。
 どんなに道幅が狭くなろうとも、車の数は一向に減る気配はない。さらに、信じられないことにものすごいアップダウンで目の前を急に対向車が現れる感じで、みちの端をそおっと歩いていても心臓が止まりそうな感じである。そのアップダウンを早々に走り過ぎて提灯塚を過ぎると、少し車の数が減って、いよいよ昔を偲ばせる世界に入っていった。

 相変わらず道幅はきわめて狭い。もちろん歩道などはなく、車がすれ違うには一方の車を停止しなければならないほどである。ましてやそこに歩行者などがいたものなら、もう大渋滞。迷惑極まりないお客である。しかし、途中の金親町付近では御成街道沿いには当時を偲ばせる旧家が並んでおり、先ほどまで眺めていた風景から一変して、まるで江戸時代にタイムスリップしたようで、よく今までこんな風景が残っていたものであると感心してしまうほどである。

 さあて、本日の終点御茶屋御殿に到着。御茶屋御殿とは家康公の休憩・宿泊のためにつくられた御殿(御茶屋)であり、全国に約40箇所あるが、その遺構をとどめているのはこの御茶屋御殿だけであると言われている、極めて貴重な史跡である。東西南北約150メートル四方で周辺を囲む土塁と空堀を拝んでいざバスに乗ろうと時刻表を見ると、本日のバスはもう終わり。何とも早い終わりである。結局また、本日の振出である「千城台」までてくてく歩いて戻ることになってしまった。

 御成街道は、江戸時代の風情を残しつつかつ危険な街道であることに間違いない。


2004/11/20掲載 
文 写真   根布谷 禎一 <北海道旧道保存会>
このページに掲載の図は、国土地理院発行 2万5千分1地形図『千葉東部』の当該部分をカシミール3Dにてレンダリング、縮小加工したものです。